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令和七年 七年祭に寄せて





来年は高浜町にとっての大きな神事である、七年祭の行われる年で す。

各区におきましてもそろそろ準備が始められている様子です。

厳しい人口減少問題に直面している今、この祭を継続していくために 考えるべき事がたくさんあります。

過日発行された七年祭保存会の会報に寄稿したわたくしの文章を、こ ちらに再掲載させていただきます。

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  小さな町の大きな祭り ─高浜七年祭りを来年に控えて─

 佐伎治神社 宮司 赤坂康夫

 「高浜祇園会 桟敷なとうたれければ 一見して 明る夜ふかく 立出ぬ」これは天橋立紀行(別称紹巴道の記)の一節で、戦国時代の連歌師「里村紹巴(さとむらじょうは)」が高浜で京の都で行われている祇園祭を見たと言っているのである。しかも桟敷(さじき)つまり見物席が設けられていたと記していることから、きっとその規模に心を動かされたにちがいない。これが永禄12年(1569)6月19日のことであり、巳(み)の年なので七年祭りが執り行われた年である。

 三基の神輿と曳山が巡幸する現在の形態は京都も高浜も全く同じである。高浜はそれに加えてお田植、太刀振り、神楽、囃子、日本舞踊などの多彩な芸能が奉納され、おまけに俄(にわか)という即興芸まで登場する。神輿の重量や曳山の有無や芸能の種類は三山とも違い、それがこの祭りの魅力でもあり、まさに小さな町の大きな祭りである。当初からこの規模であったかはわからないが七年祭りが450年もの間、連綿と受け継がれてきたのは奇跡としか言いようがない。

 この福井県指定無形民俗文化財「高浜七年祭」は来年の6月15日(日)から21日(土)の期間で執り行われることとなったが、これに水を差すような報道があった。高浜が消滅の可能性のある自治体とみなされたというのである(4月25日の福井新聞)。確かに高浜町の人口は1万をきって今も減少し続けている。人口減少のスピードを緩めることはできても止めることはできないというのが大方の見方である。だからといって祭りをあきらめるわけにはいかない。七年祭りがなくなれば町の魅力が半減すると言っても過言ではないほどこの祭りは人々の誇りでありステータスである。地域から祭りがなくなれば一気に人口減少のスピードが加速することも考えられる。

 高浜地区の中心部の人口が減少し、祭りを担う青年層が激減しており、それによって中ノ山、西山、東山の状況にずいぶん違いが生じているのは事実である。駐輦所での接待にも無理が生じてきているし、神輿を担ぐ駕輿丁、そして芸能衆や山車をひく人の確保も難しいなど課題は多く、これまでと同じことをするのは至難の業である。無理をすると負のイメージしか残らない。それならばそれぞれの特性を生かして、中ノ山、西山、東山それぞれが現在の実情に合ったことをすればよいのではなかろうか。

 自治体が消滅することと祭りが消滅することは同一ではない。大切なことは祭りに関わる人たちが楽しかったと実感することである。このプラスのイメージこそが祭りを続ける原動力となる。

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