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由緒


 延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)記載の神社。中古の時代に社記等が消失したため定かではないが、景行(けいこう)天皇の侍臣であった磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)が若狭國造を授けられた時にすでに当社が鎮座していたと伝えられている。今より千八百年以前の創建と推定される。 当社はもともと現在地から一・五キロメートル東北の薗部(そのべ)の森に祀られていたが、八穴(やな)山(現在の城山)に奉遷(ほうせん)され、 さらに戦国時代に辺見駿河守昌経(へんみするがのかみまさつね)が砕導山城(さいちやまじょう)の裾の現在地に遷祀(せんし)した。

 その後高浜城主木下惟俊(きのしたこれとし)による再建、同堀尾吉晴による鐘楼建立、小浜藩主酒井忠勝による本殿修補ならびに拝殿建立とあいつぎ、社頭(しゃとう)も大いに賑わった。 戦国時代には砕導大明神(さいちだいみょうじん)と呼ばれていたが江戸後期の天保四年(一八三三)六月に旧名の佐伎治社と改め、以後佐伎治神社と呼んでいる。

 明治八年四月に県社となった。神紋は橘(たちばな)。