砕導山城について
前回に続いて山城のお話です。
では、砕導山城とはどんな山城だったのでしょうか? 保存会では発足記念講演に山城研究の第一人者でおられる中井均氏をお迎えいたしました。
その講演の中の言葉を引用しますと
1. 山城は1500年代の永禄、天正、慶長、文禄と徐々に城の構造を変えていきます。
砕導山城は逸見昌経によって1538年頃(もしくはそれよりもう少し前)に築城され1561年(永禄4年)の戦いで城を捨てて退却したことにより、その時の遺構がそのまま残されることとなりました。
これは山城の中では初期のモデルで大変貴重なものと言えるそうです。
2. また規模として巨大ともいえるその中身は広大なエリアに小さな山城がいくつも包括されているという形です。
一方から攻められても易々と落ちない方法として防御力の高い構造と言えるそうです。
このように価値のある城跡を保存し、また皆様のお目にかけられる状 態にしてゆく事が保存会の仕事になると思います。