砕導山城跡保存会の発足について
今年5月に「砕導山城跡保存会」が発足いたしました。
「さいちやま」という言葉をはじめて聞く方も多いと思いますので少し説明いたします。
佐伎治神社の裏山が妙見山と呼ばれている事は町内の方であればご存知かと思います。
昔から保育園、小学校の遠足でもよく登られていた山です。
実はこの妙見山を含む山々の広域にまたがり約500年前、戦国時代に「山城」が形成されていました。
この山城は砕導山城と呼ばれ、城主は逸見昌経、当時若狭国の守護であった武田氏が安芸(広島)より連れてきて高浜地域を任せた武将でした。
彼が高浜の人々とともに築いた山城の遺構が現在でも数多く残っています。
山城の規模はなかなかに大きく県内最大ともいわれています。
この度正式に保存会を立ち上げ「昔のままの形を破壊する事なく、未来へ残すための活動」を行なってゆくことを決めました。
これからこのページで砕導山城や逸見昌経の紹介、保存会活動の経過報告などを皆さまにお伝えしてゆきます。