若狭湾狛犬
高浜町日引は、京都府に隣接した福井県の西端・内浦湾に面した集落です。 ここは、中世から昭和初期まで日引石 (安山岩質凝灰岩)の産地でした。 日引には大勢の石工がいて、背後の大谷山から石が切り出され、宝篋印塔や五輪塔、灯籠、狛犬などが、 造り出されました。 古いものでは、日引に近い上瀬や山中の寺に「応安六年」(1373・南北朝 後期)と刻まれた宝篋印塔があります。 長崎県と兵庫県の石造物研究者により、古い日引石製の宝篋印塔や五輪塔が、 北は青森県津軽半島の十三湊(とさみなと)から南は長崎県の島々、 鹿児島県薩摩半島の坊津(ぼうのつ)に 至るまで、広範に現存していることが確認されています。 それらは、石質だけでなく、梵字の刻み方、蓮弁の意匠、 石塔各部の寸法比率や全体のバランスが共通しており、 いずれも14世紀後半~15世紀前半(南北朝後期~室町前期)に集中して建てられたもので、 同時期に日引で造られた大量の石塔が、日本海から東シナ海の沿岸各地へと運ばれていたことを示しています。
若狭湾周辺で見られる小型の石造狛犬は、九州肥前狛犬との共通点も多く、 何らかの影響がどちらかにあったかも知れないと感じさせる様式です。 桃山時代から江戸時代にかけて造られたと推測する若狭湾狛犬で、 一番古い銘のあるものは天正二年(1574)の高森神社に奉納された小型(26.5×30.0)の狛犬です。 その他にも造形が類似している数十点の若狭湾狛犬を確認していて、 日引集落の神社や個人宅にも存在するため、 日引の石やその周辺で採取した石を使って製作された狛犬だと推測している。 そして若狭周辺にも幕末に沢山の来待石製出雲式狛犬が入ってくることにより、 出雲狛犬に影響を受けた日引狛犬が登場します。