狛犬研究 テーマ1





越前狛犬


 足羽山笏谷で採取される緑の石、笏谷石は「緑色凝灰岩」に分類される加工に適した石で、 古墳時代には石棺に使われるなど、太古より加工された石造物が見つかっています。

 越前地方ではお城の石垣や寺社の灯籠、墓石などによく用いられてきました。 水に濡れると緑色がきれいに発色するので、参道の敷石にも使われることが多い石です。

 越前狛犬と呼ばれる、笏谷石で造られた江戸時代の狛犬のサイズは小さなものでは 9センチ前後から大きいものは1メートルを超えるものまで造られていますが、 20~40cmのものが最も多く、当初から参道狛犬ではなく神殿 狛犬として作られたと考えられ、 江戸時代初期頃までは、狛犬が置かれる場所は、神殿内や脇の屋内におかれるのが常で、 参道に狛犬が置かれるようになるにはもう少し時代が下がってきてからのことであると、考える。



 福井県内では木造狛犬もありますが、日本海特有の気候冬の大雪で湿度が高い分腐敗が進み、 害虫の被害も多く、同年代に作られた石造狛犬と比べて保存状態が悪く、 気候の点からも石造が最適であったと考えられ、 細工に適した良質の石が採掘できた事も大きな要因であったのだろう。

 笏谷石製の狛犬は現在でも造られているが、江戸時代以前のものと、 写真が出回るようになった明治以降では様式がガラリと変わってしまうので、 江戸時代以前の狛犬を越前狛犬と呼び、明治以降の狛犬は福井狛犬と呼び方を分けている。

《越前狛犬と判断する要素は3つ》


 (1) 越前産の笏谷石を使用している。
 (2) 制作された年代が16世紀から19世紀中期頃まで。
 (3) 越前生まれの意匠・造形であるが、
   時代の移り変わりに伴って変化している。



【越前狛犬の様式と特徴】


越前狛犬は狛犬本体と土台部分がそのままの石で彫られています。
 土台部分は5種類に区分され、時代の流れとしては長方形から後方の2辺の角が削られた山型になり、 後部が狛犬のお尻に そった丸い型になっているのが一番多く、 その他にも楕円形や長方形の四隅を面取りしてあるような土台もあり、 土台の型で年代の判断が出来ますが、近年になって長方形の土台のものも造られたりするので、 そのあたりは注意して、他の特徴と照らし合わせてみなければなりません。
 時代が古いタイプの狛犬は尻尾が3つに分かれていて、走り毛や雌雄の表現がみられますが、 時代が下がってくると尻尾が1本にまとまり、走り毛や雌雄が無くなります。
 いろいろな特徴で時代の判断はできますが、一番分かりやすいのは鬣の造形です。
 表にして特徴を描いてみました。


 17世紀後半には横を向いたタイプが登場します。横を向いたタイプの一番古い銘が入ったものとしては、 灯篭の上に彫られた狛犬で、延宝八年(1681)の年号が灯篭に彫られています。



 笏谷石製の狛犬は白山信仰との関りがあり他国(藩)へと伝えられたとゆう説を聞くことがありますが、 越前狛犬の奉納先は白山信仰の神社よりも航路の寄港先の神社や、 海難時の避難地に奉納されている事が多く残っています。

 例えば舞鶴市の若狭湾に浮かぶ島冠島は無人島でありますが、 避難地に利用されているので、島の神社には沢山の狛犬が奉納されています。


 石川県では越前狛犬と越前狛犬によく似た、 石川県小松市で産出される観音下石(日華石)や滝ケ原石、原石(はらいし)を使った狛犬が並べられて奉納されているのを見かける事があり、 石川県でみられる白い凝灰岩の狛犬は、先ほど述べました「越前狛犬を判断する3つの条件」に合致しないので、 「越前狛犬」と混同する事無く、「白山狛犬」の名称で区分していきたいと考えるが、 笏谷石かそうでないかの判断は難しく、数多くの越前狛犬を観て様式を覚えていただくのが賢明である。


 福井県では高さ約10センチ前後の狛犬が数十点奉納されている神社があり、これは稲荷社に奉納される狐の土人形のような様相です。


 民衆にとって小型の狛犬は比較的安価で持ち運びも軽く、 奉納しやすいアイテムだったのではないかと考えられ、絵馬のように、 願い事をする時に用いられたものではないかと考えられる。

 小型の狛犬には奉納された時の伝承も残っています。

 (例1)およそ700年前に京都の刀匠「千代鶴国安」が越前に移り住み、 刀を打つかたわら鎌の改良に努めて越前打刃物の基礎を築きました。 国安は刀を造る度に砥石を使って狛犬を彫り、 「刀 は人を殺すための武器であってはならない、 武士の象徴として存在してほしい」という願いを込めて井戸に沈めたといわれ、 実際に千代鶴の池からは小さな狛犬が発見されています。


 (例2)石川県小松市にある串茶屋は、17世紀中期、 旧北陸街道の「一里塚」付近に茶屋を開いたのが始まりで、 後に婦女による給仕が盛んになり、廓としての営業の許可状も与えられた。 串茶屋民俗資料館には、遊女が早く足抜けできるようにと祈り奉納したとされる小型狛犬が沢山残っている。


 (例3)福井市にかつて架かっていた九十九橋が、大水で流されてしまわないように、 橋のたもとに橋を守るために小型の狛犬が埋められたものが発見されている。


 幕末の福井には来待出雲式狛犬や加賀などの他国からの狛犬も入ってくるようになり、 左の写真のように今までの様式とは全く違う笏谷石製のニュータイプと言うべき大型の狛犬が福井の石工により造りだされるようになります。






 そんな中でも右の写真のように、福井で長年愛された越前狛犬の様式に則した狛犬が近年になっても受け継がれて作られています。