狛犬研究 テーマ2


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2019.8.29
獅子・狛犬研究家 中森 あゆみ


テーマ              
<田蓑神社に伝わる元禄狛犬についての考察>



田蓑神社の狛犬の製作背景を
丹波地方の石造狛犬との関係から考える

はじめに



 浪速狛犬の初期の型だと位置付けられている、大阪府大阪市西淀川区に鎮座する田蓑神社の狛犬は、 浪速狛犬と断定できる狛犬なのだろうか、浪速狛犬の記銘入り狛犬は、 田蓑神社の狛犬元禄15年(西暦1702)の次が、 住吉大社の元文元年(西暦 1736)と34年もの年月が経ってしまう。

 住吉大社の狛犬は、それ以降に似た狛犬が多数出現するが、 田蓑神社の狛犬は、大阪によく似た狛犬はまだ発見されていない。 ではこの田蓑神社の狛犬は何処から、どのようにして、 田蓑神社に奉納されたのかを推測していきたいと思う。

丹波地方の類例した狛犬達

飛梅宮天満神社元禄5年


 兵庫県丹波市の高座神社(兵庫県丹波市青垣町東芦田2283)に奉納された元禄元年 (西暦1688)の狛犬の調査に訪れた際、 以前調査した京都府福知山市の飛梅宮天満神社 (京都府福知山市三和町西松50-1)の狛犬と非常に似通っていることに気がついた。 共通点は以下の諸点である。
  形の特徴は
   a.阿形のタテガミの毛が束で2段に彫られている。
   b.垂れ耳。
   c.額の上にタテガミとの分かれ目がある。
   d.タテガミの彫り方が阿吽で異なり。
   e.眉頭に小さな渦毛がある。
   f.アーモンドの形をした目。
   g.鼻の位置。
   h.前足脇にある独特な走り毛。
   i.後ろ足の走り毛の位置と表現。
   j.5本の束で広がることのない尻尾。
  などの点である。

高座神社元禄元年



 飛梅宮の狛犬は元禄五年(1692)に奉納された安山岩質のものであり、 高座神社の狛犬とは4年違いで、狛犬の色合いや質感により石材の違いはあるが、 福知山市と丹波市は距離も近く、同じ石工の手によるものだと推察した。

 高座神社宮司様の説明では、石材は石川県金沢市戸室で採れる戸室石(角閃石安山岩)であり、 北前船で運ばれて、高座神社に奉納されたものだと推測されるという。

 さらに、それともう1対そっくりな狛犬があるという事で、 兵庫県丹波市の神池寺(兵庫県丹波市市島町多利260)の、 元禄元年(1688)に造られた狛犬を調査した、こちらは他の2対よりも大型で胴が長いものの以下の点が共通する。

 b.垂れ耳、c.額の上にタテガミとの分かれ目がある、 d.阿吽でタテガミの彫り方が異なり、阿形はストレート吽形はカールしている、 e.眉頭に小さな渦毛がある、f.アーモンドの形をした目、 g.鼻の位置、h.前足脇にある独特な走り毛、i.後ろ足の走り毛の位置と表現、 j.5本の束で広がることのない尻尾の彫り方、などの点が確認でき、 先の2社の狛犬と同じ石工の手によるものであると推測できる。

 

神池寺元禄元年



 丹波の狛犬の研究をされている丹波市文化財審議委員の山内順子氏にこの3対の狛犬の出どころについて話を伺い、 なぜ高座神社の狛犬の石材が戸室石であるとわかったのかをお聞きしたところ、 丹波の郷土史家の方が判断したということで、 金沢の石なら元禄の時代に北前船のような廻船によって運ばれ、 奉納される可能性が十分に考えられるということであった。

 同じような時代に越前より福井市足羽山で採掘される笏谷石で造られた越前狛犬が、 丹波や丹後あたりでも多く発見されており、高座神社周辺の神社でも越前狛犬が発見されていることもあり、 金沢の石が船で運ばれて来たものだと推測されたのであろう。

 その時に山内順子氏より、他にも良く似た狛犬が2対あるとご教示頂き、 今回大阪市西淀川区の田蓑神社に奉納された元禄十五年(1702)の狛犬を、 田蓑神社宮司平岡努様の御厚意により、調査させていただいた。

 田蓑神社の狛犬は丹波地方3対(高座神社・神池寺・飛梅宮)の狛犬とは石材が明らかに異なり花崗岩製である。

田蓑神社元禄15年


 形態的な特徴は a.阿形のタテガミの毛が束で2段に彫られている、 b.垂れ耳、d.阿吽でタテガミの彫り方が異なり、 阿形はストレート吽形はカールしている、 e.眉頭に小さな渦毛がある、 f.アーモンドの形をした目、h.前足脇にある走り毛、i.後ろ足にある走り毛の位置、

 このように先の3社の狛犬と共通する特徴が多いが、反面相違点もある。
   イ.額とタテガミの境目の線がない、
   ロ.上に向いた顎髭がある、
   ハ.肩が筋肉質でがっしりしている
   ニ.尻尾が七本で扇型、等である。

 しかしこれらの表現の違いは、丹波地方の3対の狛犬から十数年を経る間に、 同じ石工が年月を重ねて編み出した技術力の差であると見ることもできる。

 または、珪石粉塵を多年徐々に吸入する石工は短命であることから、 その弟子が造った狛犬であるとも推察できる。

 このように田蓑神社の狛犬は造形的には丹波地方の3対の狛犬と同じ石工もしくはその弟子の手によるものだと推定できるが、 この狛犬がどこから来た狛犬なのかという疑問は残っている。

 そこで先ず高座神社で聞いた情報を元に、金沢市戸室に出向いて現地の石を採取し、 さらに以前戸室地区で採石の仕事に従事していた方への聞き取り調査を行った。



 戸室石は、石全体が赤みを帯び、その中に白い礫がポツポツとまばらに入っているのが特徴で、 肌理は荒く、石垣等によく使われるが、石造物を作るにはあまり適した石ではない。

 もし他藩に戸室石製の狛犬が複数運ばれていたとされるなら、越前狛犬や浪花狛犬にみられるように、 地元にも同様の狛犬や石造 物が残っているはずだが、 石垣や蔵の壁、建物の土台、灯籠以外の戸室石製の石造物を現地で見ることはなかった。

 また地元の方にたずねても戸室石の狛犬は見たことがなく、 産出量もそれほど無かった戸室の石が北前船に乗せられ、 江戸時代に加賀藩より他藩へ運ばれたという話は聞いていないとのことであった。

 北前船の研究家である三井紀生先生にもご教示を受けたが、 戸室石が北前船に載せられて他藩に運ばれた記録は今の所見たことはなく、 もし運ばれていたとしても少量ではないだろうか、というお話であった。

 以上のことから、田蓑神社の花崗岩製狛犬だけでなく、 丹波地方の3対の狛犬の石材も戸室石の特徴とは異なることから、 この狛犬たちが加賀地方から北前船で運ばれたという説は実情と符合しない。

 ではこの狛犬たちはどこから来たものなのか。

 その疑問を解決する手がかりは5対目の共通する特徴を持つ、 兵庫県丹波市の天満神社(兵庫県丹波市春日町棚原655)の狛犬にあった。
天満神社記銘無し


 丹波市の天満神社の狛犬は、顔の表現は先の4社の狛犬とは異なるが、 a.阿形のタテガ ミの毛が束で2段に彫られている、 b. 垂れ耳、c.額とタテガミの境に線がある、d.阿形はストレート 吽形はカールのタテガミ、 f.アーモンドの形をした目、h.前足の脇にある走り毛、 i.少し位置は違うものの後ろ足には線刻で走り毛の表現がある、 j.五本の束に分けられた尻尾。これらの共通する特徴からも、 丹波地方の3対の狛犬及び田蓑神社の狛犬と共通する特徴を多数みいだすことができる。

 このことから、同じ石工の手によるもの、もしくはその弟子が作ったものではないかと推察できる。

 丹波の天満神社には狛犬と同じ石材で、 市島町で採れる砂岩の灯籠が複数で奉納されているところをみると、 天満神社の狛犬は丹波の地元石材によって丹波で造られたものであると考えられる。

 その後の調査で、もう1対よく似た狛犬があると山内氏からご提示頂き、 兵庫県丹波市氷上町井中20の火産霊神社の狛犬も宮司様の許可の元、 調査させていただいた。

 共通点は以下の諸点である。形の特徴はb.垂れ耳、 c.額の上にタテガミとの分かれ目がある、d.タテガミの彫り方が阿吽で異なり、 阿形はストレート、吽形はカールである、f.アーモンドの形をした目、g.鼻の位置、 h.前足脇にある独特な走り毛、i.後ろ足の走り毛の位置と表現、 j.5本の束で広がることのない尻尾、などの点である。
火産霊神社記銘無し


 こちらの狛犬は丹波で採れる大新谷石の輝石安山岩の狛犬ではないかと判断した。

 では田蓑神社の狛犬についてはどうなのか。

 この狛犬が花崗岩製であることを考慮すると、丹波から運ばれてきたものではなく、地元に近い所から調達したものと思われる。

 福知山市の飛梅宮の狛犬も丹波市の4対の狛犬とは石質が異なる。

 福知山市と丹波市は距離的には近いが、やはり現地の石材で造られたものであろう。

 近世の石工には、石材産地に伴う在郷の職人と石材産地から離れた町石工とがおり、 また高遠石工に代表される、出張し製作に関わる出稼ぎ石工が存在したことも判っている。

 丹波地方と福知山、大阪の田蓑神社の狛犬の石材がそれぞれ異なるのは、 石工自身が注文に応じて移動し、現地で調達した石材を使い狛犬を製作したと考えるのが妥当であろう。

 よって田蓑神社の元禄十五年に奉納された狛犬は、大阪で手に入る石材を用いて、 出張石工により製作されたもので、 同一石工または弟子の石工によって造られた5対の兄弟とも言うべき類似の特徴を持った狛犬が、 丹波市と福知山市に存在すると結論づけることができる。

終わりに



 田蓑神社の狛犬は浪速狛犬の初期型というよりは、 丹波独自の型の狛犬であるという事が、 丹波地区に存在する5対の狛犬によって証明されるのではないかと思います。

 今はまだ田蓑神社の狛犬を合わせて、6対の狛犬が確認されていますが、 今後の調査次第では、新たな狛犬が発見できる事を期待している。


【引用・参考文献】



    奈良文化財同好会 1999「狛犬の研究ー大阪府の狛犬ー」
    関根逹人 2016「近世石工の基礎的研究1ー高野山奥之院と住 吉大社ー」
    弘前大学人文社会科学部 論文 2頁 「珪肺に関する障害給付について」 https://www.mhlw.go.jp/ web/ t_doc?dataId=00ta3252&dataType=1&pageNo=1&fbclid =IwAR2stwMAlmxTkTg3 CW5YMJ9Rdhe-TBbUTs4f- IgfCqXSkhZyDLewT90f0-Q フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』戸室石 https:// ja.wikipedia.org/wiki/戸室石

 レポートするにあたり、たくさんの狛犬研究家の先生方にご教示いただきました。

 (順不同) 川野明正氏(明治大学教授)、小寺慶昭氏(龍谷大学名誉教授)、 塩見一仁氏(狛犬誕生著者)、綱川潔氏(岡崎石工)、阿由葉郁夫氏(参道狛犬研究会「狛犬の杜」編集長)、 片岡元雄氏(元学芸員)、鈴木隆弘氏(狛犬研究家)、山内順子氏(狛 犬研究家)、 塩見昭吾氏(郷土史家)、三井紀生氏(北前船研究家・ 郷土史家) その他、各神社宮司様、氏子様に多大なるご協力をいただいたことを、この場におきまして改めて御礼申し上げる次第です。

                     中森あゆみ
協賛:佐伎治神社